【タイトル】

数矢小学校100年の歴史

【本文】

  開校90周年記念誌より抜粋 大正2年(1913年) 数矢尋常小学校が数矢町1番地、現在の富岡1丁目に開校   寛永19年(1642年)京都の三十三間堂を模して浅草に建てられ三十三間堂は元禄14年(1702年)に富岡八幡宮の東隣<現在の富岡2丁目に再建された。西の縁側では「通し矢」が行われ、その弓道競技のことを江戸の人は「大矢数」と呼んでいた。本校はその跡地に開校したと伝えられている。 大正12年(1923年) 関東大震災後の大火事で校舎が全焼 児童数664名 関東大震災後の仮校舎(大正13年・9月) 平久小学校の焼け跡(平久町1丁目1番地)に両校合同の仮校舎が建ち全児童が一つの校舎で勉強できるようになった。その後大正14年・8月(古石場13番地)仮校舎に移る 昭和3年(1928年) 富岡公園地3(現在の場所)に鉄筋3階建ての校舎ができた 昭和18年(1943年) 東京都数矢国民学校となった 数矢臨海学園が海軍療養所になった   旧校舎の中   昭和19年(1944年) 戦争のため食糧難になり、ご飯とみそ汁の学校給食が始まった 戦争が激しくなり学童疎開が始まる。3年生以上の希望者502名は職員と新潟県三条市に疎開した。   昭和20年(1945年) 東京大空襲により学区域はすべて焼けてしまったが、校舎は避難してきた人々と当直の職員の働きで焼け残った。 在籍721名中死亡または行方不明者269名。   昭和24年(1949年) キティ台風で被害を受けた。旧校舎の職員室、床上20cmまで水が入った。   昭和27年(1952年) 開校40周年記念式典を行った。その記念として校歌(旧校歌)ができた。   昭和36年(1961年) 1961年度全日本学校器楽合奏コンクール東日本大会にて最優秀賞を受けた。   昭和38年(1963年) 創立50周年の記念式典を行った。 新1年生の教科書が無償となり配布された。   昭和45年(1970年) 校帽ができた。アンケートで人気のあったエンジ色に決まった。   昭和47年(1972年) 開校60周年記念式典を行った。 昭和53年(1978年) 校舎建て替えのため、旧深川2中に引っ越した。その際、旧校舎の床板を使用して数矢校舎を懐かしむ会より、校長室机と会議用机が記念として贈られた。数矢のシンボル「矢羽」はデザインされている。 昭和57年(1982年) 開校70周年記念式典を行った。 平成9年(1997年) 開校80周年記念式典を行った。   平成12年(2000年) 江東区研究協力校として、生活科・総合的な学習の時間の研究発表をした。   平成13年(2001年) 深川に由来する川と木をデザインしてつくられた演台   平成14年(2002年) 開校90周年記念式典を行った。   平成17年(2005年) PTA・やばね会の協力により木製掲示板を30枚設置   平成18年(2006年) PTAの協力により、校庭に国旗等掲揚柱・各教室にインターフォンを設置。   平成19年(2007年) 開校95周年記念式典を行った。 平成20年(2008年) 校舎耐震補強工事、体育館・プール改修工事 平成22年(2010年) 東京都スポーツ教育推進校指定・江東区研究協力校「特別活動」の指定を受ける   平成23年(2011年) 江東区研究協力校「特別活動」研究発表会を行った。 平成24年(2012年) 祝 開校100周年記念運動会・航空写真撮影  


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